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【第2回】 金のシャチホコって名古屋城のトレードマークじゃろ?
2013/02/27
現在の岡山城天守閣には金の鯱を掲げ金の軒丸瓦を葺(ふ)いています。 「金鯱(きんのしゃちほこ)って名古屋城でしょう」と思う方が多いかもしれません。 金鯱を掲げている又は掲げていた城は名古屋城以外にも、安土城、犬山城、江戸城、江美城(鳥取県)、大坂城、甲府城、彦根城、広島城、伏見城などがあります(五十音順)。 意外と多いですよね。 本格的な天守の始まりと言われる、織田信長の安土城にも金鯱は使われていました。 信長に倣ったのか、派手に飾りたかったのか、はたまた金鯱って格好いい!と思ったのかは定かではありませんが、豊臣秀吉も大坂城や伏見城で金鯱を使っています。 では、宇喜多秀家が岡山城に葺いた金鯱はどんなものだったのでしょうか。 実は岡山城で行われた発掘調査では金鯱は出土していません。 ただし、金箔を施された軒丸瓦・軒平瓦などが出土しています。岡山城が築城された頃(安土桃山時代)は、これらは金鯱とセットで使われることが一般的だったので、宇喜多秀家が築いた天守にも金鯱が使われたと考えられています。 現在の岡山城の金鯱は表面全てが金色ですが、安土桃山時代は、鰭(ひれ)、棘(とげ)、耳、目、牙など体から突出した部分に金箔を施していました。 また鰭、耳の内側、唇、に朱を施したり、朱の上から金箔を施したりもしていました。 想像してみてください、体は瓦の黒灰色、鰭や牙が金色、唇が朱色。かなり際立った色使いです。キレイと言うより不気味かも……。 岡山城へ来たら、この豆知識を思い出しながら金鯱を眺めてみてください。 金鯱がニヤッと笑いかけてくるかもしれませんよ。 安土桃山時代の金鯱を見たい方はお隣の広島城へどうぞ。広島城出土の金鯱(複製)を見ることが出来ます。 ※安土桃山時代:織田信長・豊臣秀吉が天下人となった時代の名称。宇喜多秀家が岡山城を築いた慶長2年(1597)はこの時代。

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